島田紳助(しまだ しんすけ、本名:長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)、1956年3月24日生)は、漫才師出身のお笑いタレント、司会者。京都府京都市南区出身。吉本興業所属。2011年8月23日引退。
大谷高等学校卒業。京都学園大学中退。父は元国鉄マン。家族は妻と3人の娘さん。少年時代に暴走族をしていた。料亭に勤めていたことがあるそう。10代の頃は大場政夫に憧れ、ボクシングジムに通った。73年京都府高校フライ級1位。
18歳のとき、B&Bの師匠である漫才コンビの島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に入門。1975年9月に松本竜介(解散後、松本竜助に改名。2006年4月1日に竜助は逝去。)と漫才コンビ「紳助・竜介」結成。リーゼントにおそろいのつなぎというスタイルでヤンキー漫才を確立し、1980年に起きた漫才ブームに乗って一躍ブレイク。1985年に紳助・竜介は解散。明石家さんまとは同学年でデビューも同期。
動産・不動産を問わず、かなりの資産家。鈴鹿8耐挑戦やガンバ大阪の熱烈なサポーター活動も行っている。石垣島好きで有名であり、石垣島に喫茶店「TOMURU(トムル)」をオープン。また、2005年11月には大阪・東心斎橋に「寿司 はせ川」をオープン。
2011年8月23日、暴力団関係者との交際が発覚し、突然の引退。
株式会社よしもとクリエイティブエージェンシーは2011年8月23日22時ごろ、東京都内で記者会見を開いた。内容は「同社所属のタレント・島田紳助さんが同日をもって芸能活動を引退する」と。よしもとの調査によると、島田さんは2005年6月頃から2007年6月頃まで、暴力団関係者とのあいだに「一定の親密さをうかがわせる」携帯メールのやりとりを行っていたという。よしもとが厳しい処分を検討するなか、島田さんより「引退」の申し出があったため、これを受け入れた。
引退を決めたことについて、前もって教えていたのはダウンタウンの松本人志さんだけ。
理由は、ダウンタウンの漫才を見た時に、「紳竜の漫才はもう終わりだな」と思った、と。自分の漫才を終わらせたのはあいつ(松本人志さん)だったので、芸能界を終わるときも、「まずはあいつに伝えとかないかん」と思い、松本人志だけには伝えた、というもの。
1時間に及ぶ記者会見の中で、多くの質問が飛んだ。「芸能界でやり残した、未練のあることを教えてください」との質問に対しては、「芸能界に悔いはない。一回は、一瞬てっぺんに、半年くらい立ったんで悔いはありません。僕がてっぺんに乗った半年間を、親友の(明石家)さんまが確認してくれましたんで。そのときも。だから自分のなかで一瞬てっぺんに立ったという自覚だけは持っています。」との言葉を残した。
「十分に反省した結果、ブレることなく引退します」との言葉を残し、芸能界を引退。
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青木 さやか(あおきさやか、1973年3月27日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)。愛知県尾張旭市出身(生まれは愛知県瀬戸市)。ワタナベエンターテインメント所属。
今田 耕司(いまだ こうじ、1966年3月13日)は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)。大阪府大阪市天王寺区生玉町出身。吉本興業所属。血液型A型。
大悟(だいご)とノブによる漫才コンビ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)大阪本社所属。2000年7月結成。キャッチフレーズは「岡山の漫才番長」。