萩本 欽一(はぎもと きんいち、1941年5月7日生)は、日本のコメディアン。東京都台東区出身。司会者、舞台演出家としても活動。日本野球連盟茨城ゴールデンゴールズ監督。
東京都台東区出身。身長162cm、体重65kg。駒込高等学校卒業。血液型A型。浅井企画所属。ファンはもちろん、芸能界でも先輩・後輩問わず「欽ちゃん」の愛称で呼ばれている。また、彼の番組や舞台から育ったいわゆる欽ちゃんファミリーには「大将」と呼ばせている。
1970年代、1980年代に、「なんでそーなるの!」というギャグや、「欽ちゃん走り」と言われる独特の走り方(原点は東八郎)など体を使った笑いで人気者になる。さらに素人および素人っぽさを残す才能を開花させるなどで活躍。「どっちらけ」、「バンザーイなしよ」等、今も語り継がれるギャグもたくさんある。現在ごく普通に使われる「ウケる」(ややウケ、バカウケ等)という言葉も、最初は「欽ちゃんのドンといってみよう!!」から広まったと言われている(芸人言葉を一般にも広めた。
坂上二郎から誘われ、一回の舞台契約だけで、1966年、「コント55号」を結成(しばらくは、その都度の契約だったが、気づいたらコンビになっていたそうだ)。前田武彦と組んだフジテレビの公開生放送「お昼のゴールデンショー」(1968年~1971年)で人気に火がつく。以降、「コント55号の世界は笑う」(フジ)、「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」「コント55号のなんでそうなるの?」(ともに日本テレビ)、「チータ55号」「みんなで出よう!55号決定版」(TBSテレビ)、「ウォー!コント55号!!」「コント55号!!笑ってたまるか!?」(NETテレビ・現在のテレビ朝日)など、テレビで大活躍する。その後もコンビとしての活動は続いたが、1975年スタートの久米宏司会で大人気となった「ぴったし カン・カン」(TBSテレビ)ではグループリーダー役など、昔のコンビ芸とは違い、次第に個々の活動に入っていった。
その後、1972年スタートのニッポン放送のラジオ番組「欽ちゃんのドンといってみよう!!」、1975年には土曜の夜に公開放送で行われた「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(フジ)、1972年スタートの「オールスター家族対抗歌合戦」、1971年10月スタートの「スター誕生!」(日本テレビ)など、司会業でも活躍。
以降、1981年には月曜9時に「欽ドン!良い子悪い子普通の子」シリーズ(フジ)がスタート。1976年から始まっていたホームコメディ「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(欽どこ)(朝日)、1982年スタートの「欽ちゃんの週刊欽曜日」(TBS)と高視聴率番組が続き、各番組の合計した視聴率の数字から「100%男」の異名を取った。これらの番組から人気芸能人が生まれ、彼らは「欽ちゃんファミリー」として巣立った。
その他の活躍:、関東を本拠(後に茨城県桜川村=2005年3月22日に平成の大合併に伴い稲敷市になる=を本拠地に制定)とした社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を結成。2007年8月18日〜19日に放送された「24時間テレビ ~愛は地球を救う~」のチャリティーマラソンランナーになり、66歳という年齢で完走(生放送中にはゴールできず)。
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